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ドラえもん (1979年のテレビアニメ) : ミニ英和和英辞書
ドラえもん (1979年のテレビアニメ)[びあ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer

ドラえもん (1979年のテレビアニメ) : ウィキペディア日本語版
ドラえもん (1979年のテレビアニメ)[びあ]

ドラえもん』は、藤子・F・不二雄漫画作品『ドラえもん』を原作とするシンエイ動画制作のテレビアニメである。
『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。
# 1973年に放送されたシリーズ
# 1979年から2005年3月まで放送されたシリーズ
# 2005年4月から放送中のシリーズ
これらを区別する呼称は公式には発表されていないが〔2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版ドラえもん』というタイトルで発売されている〕、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月から放送中のシリーズを第2期とする。
本記事では第2作第1期について記述する。

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* ドラえもんのひみつ道具 (1979年のテレビアニメ あ-い) ほか
== 概要 ==
1979年(昭和54年)4月2日〔日曜再放送は4月8日から〕から2005年(平成17年)3月18日〔劇場版のテレビ放送を最終放送とした場合は3月25日〕まで26年間放送された。全1787話制作され、特番用に作られた話数に数えられない作品もカウントすれば全1814話にまで達する。2005年のテレビアニメ版(テレビ朝日版第2作)の放送話数・期間を含めると、テレビ朝日のアニメ作品の中では最長寿作品となっており、日本のアニメ作品では最長寿の『サザエさん』に続く期間・話数をも誇る〔サザエさんは既に7100話を超えている(2005年当時は約6500話放送されていた)〕。また今作はシンエイ動画が自社制作したテレビアニメ作品の第1作目である。
1979年4月2日より月曜〜土曜までの10分の帯番組としてテレビ朝日のみで放送を開始。同年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された。当初関東ローカル放送だった10分帯番組は1979年10月1日より北海道テレビと静岡けんみんテレビで、九州朝日放送など数局でも1980年春より放送を開始した。その後も原作と共に人気を急上昇させ、まだテレビ朝日の系列局が少ない中でも全都道府県で放送される大ヒット作となった。テレビ朝日や藤子漫画だけでなく、日本を代表する国民的アニメ番組としての『ドラえもん』ブランドを成長させたのは、本作の影響が非常に大きい。
現在に続く放送枠及び30分枠での放送が開始したのは1981年10月2日からであり、帯枠放送時からの移行で制作体制も刷新されそれらの美術設定等は2005年の放送終了まで続く事となる。同枠は1975年4月の『勇者ライディーン』よりNET→テレビ朝日が制作〔これより前は、当時NETとネットしていた毎日放送制作のアニメが放送、特に1973年3月 - 9月には同じ藤子アニメ『ジャングル黒べえ』が放送されていた。〕、旭通信社(現:アサツー ディ・ケイ)が広告代理店を務めており、1976年の『マシンハヤブサ』から今作の枠移動が行われるまで東映動画が放映権を保持していた。1977年から1981年までは「東映魔女っ子シリーズ」を含めた少女向けアニメを放送する枠として展開されていたが、今作の枠移動により東映動画は6年間保持していた当枠を手放す事となり、放送されていた『ハロー!サンディベル』は30分繰り下がって金曜19:30へ移動となっている〔翌1982年3月からは、東映・旭通信社による特撮番組『宇宙刑事ギャバン』に変更、以後この特撮枠は月曜19:00→日曜9:30(奇しくも本作が放送された枠)と変遷し、現在は日曜8:00で『平成仮面ライダーシリーズ』を継続中。〕。
劇伴は菊池俊輔が担当した。菊池は放送開始から20年以上にわたってテレビシリーズと映画〔映画シリーズは第17作まで担当。後任は大江千里及び堀井勝美。〕のBGMを手がけた。うち一部の楽曲はサントラCDとして商品化された。主題歌『ドラえもんのうた』のシングルレコードは1987年の時点で日本で150万枚を売り上げている〔「古今東西TVアニメ作品人気番付」『読売新聞』1987年1月1日付、37頁。〕。
毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『○だ一番! ドラえもん祭り』(「○」には季節が入る)などと題して1時間から2時間に拡大される特番があり〔かつては、お正月にも『お正月だよ!ドラえもん』と題して1時間の特番が放送されていた。〕 、やや長い中編のアニメ化なども行われた〔広島ホームテレビでは、1985 - 87年頃に、夏の1時間特番を番組返上として、自社送出の上ネットスポンサー付で過去の通常版を再放送をし、19:30からプロ野球広島東洋カープ主催試合の中継を放送したことがあった(19:30 - 20:00はローカルセールス扱い)。また、1995年は春の1時間特番を翌週月曜の夕方に遅れネットとして広島戦中継を放送した。〕。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた〔 1997年以降の映画は当初、お正月特番の代替で翌年の正月に、第2作1期最末期からは現在と同様、新作映画公開直前での放送となった〕 。
特に大晦日はその年の曜日がどの曜日であっても関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、『ドラえもん』の他、『パーマン』、『忍者ハットリくん』などの傑作も放送〔なお、『パーマン』はその後新作映画公開記念として2002年度と2003年度にも傑作を2本程度放送された〕 )、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただし、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒しをして30日に放送、タイトルも『冬休みだよ!ドラえもん』に変更された。
1回に放送する話数は1981年9月まで3話だったが翌月以降は2話(これに伴う1話あたりの放送時間は後述)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった)、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった。なお、30分作品が日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分は全て10分作品の再放送だった。テレビ朝日での10分帯放送も1980年4月以降は土曜日のみ再放送となった。
1980年1月1日に初めてアニメオリジナル作品が放送された。また、1981年の放送作品には原作者が同一である『ポコニャン』を原作とした作品が多く制作され、1990年代後半には『チンプイ』、2000年代には『キテレツ大百科』のエピソードを原案にした作品も数作品制作された。また放送が長期に渡ったこともあり、同一の原作を数回アニメ化する“リメイク版”も数多く制作された。初のリメイク作品は1985年に放送された『オオカミ一家を救え!!』である。放送後期にアニメオリジナル作品が量産される傾向が見られ始め、末期にはほぼ全ての作品がアニメオリジナル作品となった。その時期では主に特番などにおいてリメイク版の放送を行った。リメイク作品は帯放送枠時代に放送された作品が中心だが、30分時代に放送された作品をリメイクする場合もある〔1988年5月27日放送「パパのおみやげ」、2004年10月1日放送「ためしにさようなら」、2005年3月4日放送「魔法使いしずかちゃん」、2005年3月18日放送「ドラえもんに休日を?!」。映画でも「のび太の結婚前夜」以降の作品は30分時代に放送された作品をリメイクしたものである(帯放送枠時代にも放送された「おばあちゃんの思い出」、「ぼくの生まれた日」を含む)。〕。
2005年3月の放送終了までの日本での歴代平均最高視聴率は1983年2月11日の放送で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが、1990年代以降は年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。なお、木村純一プロデューサーによると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという〔「テレビ秋の陣 地上波の模索(下)アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。〕。
1996年に原作者の藤子・F・不二雄が逝去した際、遺族がアニメの放送終了を求めたことがあった。テレビ朝日側でも人気や視聴率低下で番組の終了が検討されていたが、筆頭スポンサーであるユニーが遺族やテレビ朝日を説得し、放送は継続された〔「しんちゃん」は不滅?“サザエ方式”で存続か - スポニチ Sponichi Annex ニュース、2009年9月21日。(2009年9月24日時点のアーカイブ)〕〔なお、かつての筆頭メインスポンサーだったバンダイは、1990年代初頭にスポンサーから撤退している。〕。
2004年11月22日当日付の朝日新聞にて声優陣一新の決定が初めて世間に公表され、リニューアルに伴い、2005年3月18日放送の特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル』をもって、同年4月15日からの第2作2期にバトンを渡す形で本作は放送終了を迎えた。当日、直前に放送された『スーパーJチャンネル』では声優陣の卒業特集が行われ、最後のエピソード『ドラえもんに休日を?!』の収録に密着した。ナレーションは玉子役の千々松幸子が担当。準レギュラーからは田中亮一(先生役)、渡部猛(神成役)、佐久間レイ(ミニドラ役)、よこざわけい子(ドラミ役)の4人が降板の挨拶を行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の詳細全文を読む




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